2017/05/13 15:19

松廼屋のBLOG オススメのすすめ|ネットは騒がない、と思う。たぶん。

土曜のお昼です。
Twitterのホームでタイムラインを見ていて、ニュースアカウントの「○○○のかと、ネットで話題に。さらに、○○○ことも明らかに。背景を追いました。」というツイートに目が留まり、つい、マスメディアの記事へのリンクをクリック。77いいねマーク、100リツイート、18返信のツイートです。リンク先は長い記事で、写真や図もあり、なにしろ活字が多い。先ほど、文字カウントしてみたところ、なんと2874文字ありました。その長~~い記事の末尾の言葉を引用すると、
“いろいろな意味でネットを騒がせている○○○。あなたなら、今の時代、何を感じ取りますか。“
いやぁ…、疑問符に答えることができなくて申し訳なく思うのですが、「貴重な休日の時間を無駄にしてしまった。」
一般的な言い方になりますが、
ネットは騒がない、と思う。たぶん。端的に言えば、主語が間違っているのです。「取り上げられているこの話題」をツイートしている人たちが多いことは、現象としてあると思われます。しかし、ネットは騒がない、と思う。たぶん。繰り返しになりますが、主語が間違っているのです。結論から申し上げれば、「何の意味もない話題」を、事細やかに多方面から分析して、関連のない図を示し、様々な「声」を引用し、社会学者のコメントまで入れている、活字の無駄遣いのような記事に驚きました。つい、読んでしまうじゃないですか。意味があるのかと思って。なにしろ、NHKニュースアカウント(@nhk_news)の記事なんだもの。2874文字で記事を書くスペースがあるのでしたら、他にいくらでも(公益性に資する)話題があるでしょうに。
とあるカルチャースクールに通っていた時のこと、
地域の人たちが集う「スクール」に参加したことがなかったので、楽しかった思い出になっているのですが、その時、たまたま集まっていた教室の人たちは、ほとんど専業主婦の方たちで、年代は20代から50代まで幅広かったものの、皆さんチャーミングで、きっと、彼女たちの夫は非常に妻を大事にしていて、自慢に思っていて、お子さんも含め、いかにも、幸せなファミリーなのだろうなあと、容易にそんな微笑ましい暖かい家庭が想像できるような、素敵な奥さんたちばかりで、その雰囲気の中で、トーンを合わせてちゃっかり教室に座っているのは、心休まる一時でした。
なんで、こんな話を始めたかというと、
ある日、そのスクールの校長先生が、ご自分流の解釈で、ご自分流の言葉遣いでレクチャーをはじめて、それを生徒として聴きながら、その場で(一般的な社会人として)違和感を覚えた私は、ノンバーバルに「胡散臭いな。良い態度と話し方じゃないな。」という、静かですが否定的なジェスチャを、わずかに態度に出したのだと思います。それから、1秒もしなかったと思います。教室にいたチャーミングな奥様方が、全員、一斉に「胡散臭いな。良い態度と話し方じゃないな。」という、静かだけれど否定的なジェスチャをしたのです。それに気づき、私は、「この可愛らしい奥様たちは、意外と、すごい速さで正しい判断するのね。頭脳明晰なんだなあ。」という印象をもったのです。ですが、3秒後に、「あっ、私の隣に座っている人に全員が烏合反応をしたんだ。」と気づきました。私は、教室の前の席で、一番端に座っていて、周りの生徒の人たちにはよく見えないので、私の示したノンバーバルなニュアンスは伝わりません。しかし、(席順が決まっていて)隣の内側の席に座って仲良くしてくれていた女性が、実に、いつも活発に意見を言い、機転でみんなを笑わせたり、言わば、その教室空間では、事実上のオピニオンリーダーになっていて、その時、たまたま、隣に座っていた私のノンバーバルなニュアンスのある態度に、一瞬で「トーンを合わせてくれた」わけです。彼女は、周りの人たちから見やすい位置にいて、いつも注目を集めていたので、彼女のノンバーバルなニュアンスに、周囲が一瞬にして1秒とかからずにトーンを合わせた、とこういうわけです。少なくとも、その時点で、私は、「生まれて初めて、烏合現象が自分の周りで起こるところを目撃した!」と思ったのです。それは、まるで、フラミンゴの群舞のように、不思議な、一瞬の「シニカルだけれど美しい」出来事でした。
話を戻します。「○○○のかと、ネットで話題に。
さらに、○○○ことも明らかに。背景を追いました。」という煽り文句をツイートして、ことさらに意味のない話題を取り上げ、焦点の定まらない活字の羅列で、見せかけだけの分析と考察をして、最後に、“いろいろな意味でネットを騒がせている○○○○○。あなたなら、今の時代、何を感じ取りますか。“と、疑問形で締める。

ネットは騒がない、と思う。たぶん。

リラックスした状態で、なんとなく
スマートフォンを片手でいじりながらツイートを打ち込む仕草をする、それ自体は個人の判断に任されている行為です。ただ、言えていることは、あまりにもリラックスしているので、ノンバーバルに烏合反応をしていることの延長として、親指で文字をタイピングしている、その動作が、地球規模で標準化されたプラットフォーム上に、あらゆるレコードと同等の重みをもって、登録され、一列に並んでくる、のかもしれない。それは、もしかしたら、時代を感じ取ることが可能な雰囲気を醸し出す「何か」である可能性がある。しかし、こと、先ほど取り上げた記事に関しては「ただの烏合反応にすぎません。」
マスメディアは、
リラックスしすぎた脳の動きから派生している(ネット上の大いなるノイズになっているレコードから視覚化された)烏合反応と、意味のある群衆の行動(例えば、アメリカや海外の各地で起こっているデモ行進活動など)とを区別することは、その報道に関する高い専門性から、優に可能なことで、公益性を慮る立場であることから、そこは、たとえ、土曜の昼だからといっても、ちゃんと選別してほしいものだなあ、と脱力した次第です。
レコードへの重みづけを正しく設定することで、
「ノイズに起因する目的への収束に対する障害」を乗り越えて、実効性ある結果にたどり着くことが、あらゆる意味でビッグデータを社会の利益のために活用していく上で、大事になってくることなんだろうなと考えます。

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